Rhino Book

国際協力師を目指す大学生の奮闘記。国際人権NGOでインターンシップ中。

無知と無関心。世界人権デーに何を思うか。

 

無知、無関心は怖いものだ。

 

12/10は国連が定めた世界人権デーだった。

69年前、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である」という条文からはじまる世界人権宣言が採択された日だ。

 

人権は「人間である」ただそれだけの理由で、皆に平等に与えられた権利。

 

ナチスホロコーストでは600万人が、ルワンダのジェノサイドでは100万人が。

第一次、第二次世界大戦では何千万人もの人々が犠牲になった。

今もソマリアコンゴ、シリア、内戦が続く地で現在もなお、権利を侵害されている人がいる。

 

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戦争終結から70年、核兵器禁止条約が制定されたのは「2017年7月」今年の話だ。

日本はその条約に「反対」票を投じた。被爆国なのに。

 

21世紀にもなお、平和のために立ち上がり、声をあげなければいけない人がいる。 

それほど世界は歴史から学んでいない証なのかもしれない。

 人類は、同じ過ちをなんど繰り返すのだろうか。

 

貧困や難民を生み出す戦争や政治システムは、「人権」の立場から見ると明らかな重大犯罪であるとされている。

 でも、問題の最大の敵は人々の無知、無関心にあると、私は思う。

 

ノーベル平和賞を受賞した作家のエリー・ウイゼールは自分自身のアウシュビッツ収容所での非人道的な体験を踏まえて、

 

「我々が後世に伝えるべき真の教訓は、アウシュビッツで殺された人々が殺人者の犠牲であったということだけでなく、無関心な多くの人々の犠牲者でもあったということ。さらに、無関心な世界の犠牲者であったということなのだ。」

 

と語っている。

 

私は純日本人というマジョリティの立場として日本社会に生まれ、先進国で何不自由なく暮らすことのできる特権(=労なくして得た優位性)を持っている。

 

世界や日本社会のマイノリティが置かれている現状に目をつむっていたとしても、別に不利益は被らない。

 

ニュースに関心を持たなくたって、日常が脅かされることはほとんどない。

また、明日も明後日も変わらず同じ平和な「日常」が続いていくだけ。

電車に乗って学校に通い、バイトに行き、身の回りの人と笑い、暖かいベットの中で1日を終える。

 

関心を持っても持たなくても明日も明後日も美味しいディナーを続けられるんだ。

 

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映画『ホテル・ルワンダ』より

 

別にそれは悪いことではないのかもしれない。

 でも私の置かれているこの状況は、まさに世界の縮図である。

 

無知、無関心から脱却するために

 

話は変わるが、私は今期「日本の人種差別」について研究してきた。

人権の柱とも言われる人種差別は、決してアメリカだけの問題ではなく日本にも存在する。制度レベルでも、人々の心の中にもマイノリティへの差別が存在している。

 

実際に日本政府は、他の外国人学校は認めている「高校無償化」を在日コリアンが通う朝鮮学校だけ除外している。また彼らに向けたヘイトスピーチも現在もなお横行しており、部落差別や在日外国人への差別も現在進行形だ。

 

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先日参加した「朝鮮学校見学会」

 

自分の身の回りに目を向けても、「権利」を脅かされている人がいることを身をもって学んだ。

日本に人種差別なんて存在するの?とさえ思っていた私が無知、無関心から脱却でき、何が「おかしい」ことなのかを知り、行動に移すことができた。

 

しかし、被差別者である当事者(マイノリティ)だけが「おかしい」と声をあげなければいけない現状が存在する。変わるべきは「マジョリティ」なのに。

 

日本社会のこの例は関係ないと思われるかもしれない。だけれど、日本社会のマイノリティをめぐる問題は、世界レベルの問題と全く同じであると思う。

 

の問題が解決されない最大の原因は、マジョリティの「無知」と「無関心」であるからだ。

 

世界レベルでいえば、変わるべきはマジョリティ。つまり、「先進国」に住む私たちなのだ。 

「人権」というものは、一人一人の自覚があってこそ初めて意味を成す。

 

何ができるか?

 

「世界に関心を持とう。みんなで行動しよう。」

そんな大きなことを最初から言わないし、言う資格など私にはない。

 

だけれど、自分自身と世界を見つめる機会を持つことは誰でも簡単にできる。

今の時代、メディアは報じないけれども毎日触れる携帯の端末を使って、世界に目を一瞬でも向ければ、自分の置かれている状況との「差異」を感じられる。

 

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TwitterFacebook、様々なツールで世界と気軽に”繋がれ”、情報の選択も自分でできる。SNSは決して友人の近況を見るためだけに使わなければいけないわけではない。

誰でも情報を手に入れ、自らが発信の主体となれる。

その影響力で世界は少しずつ変わってきていると感じるのは、私だけだろうか。

 

Youtubeで好きなアーティストのミュージックビデオを見るついでに、国連やNGOが制作した映像を、1分でもいいから見ればいいかもしれない。

 

そこに「怒り」を感じられたならば、その感情に素直になってみればいいかもしれない。それが結果的に行動に、無意識のうちに移っているはずだ。

 

偉そうなことは言えない学部生の私だからこそ、自分の気持ちに素直になって投稿する。

そして私はこれからも世界と繋がれるSNSを使って、情報にアンテナを張り、発信し続けたいと思う。

 

世界人権デーにあなたは何を思う?

 

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to be continued.

吉田梨乃