国際協力って、「協力」してる?
こんにちは!久しぶりの更新となりました。
りにょ〜ん(吉田梨乃)です。
11月は大学を掲げて行われたダイバーシティウィークの準備に尽力していました。(それについては後日書こうと思います。)
2年生になり、なんとなく「コレだ!」という自分の方向性が決まり、国際協力を手段として「人権」に焦点を当てた課題に取り組みたいと思っている私・・・
実は、最近までずっと、国際協力でいう「開発援助」や「途上国支援」と言われるものに関心を持ち、将来は文化人類学者かNGO職員になって、とにかくフィールドで現地の人と一緒に草の根レベルの支援に携わりたいと漠然と考えていました。
そのために早くから現場を見てみたいと思い、高校2年次にカンボジアに行って以来、3年次には、ネパール。大学一年生の時には、ベトナム。同年アフリカのウガンダとルワンダの計5ヶ国に足を運び、「現場力」を身につけてきました。
ツッコミどころ満載な今年3月、ウガンダ北部グルの村の男の子達と。
生まれも育ちも東京の多摩。留学もしたこともなければ、帰国子女なわけでもない。
海外経験が旅行以外ない私にとって、リゾート地とはうって違った「途上国」に足を入れることはそれなりに大きなチャレンジでした。
しかも中高6年間・吹奏楽部(マーチングではなくずっと座っている方)に所属していた私の体力はほぼないに等しく、いくら短期間の滞在とはいえども、精神的にも身体的にも過酷な環境の中での生活は辛いことも多く・・・
人生初の途上国であったカンボジアでは、ホテルの卵でお腹を壊し入院。(屋台じゃない)
二回目のネパールでは、現地の水か食事で激しい下痢と高熱を発症し3日間入院。ツアー半ばの一番楽しい時を病室で過ごすさざるをえなくもなりました。
(なぜかアフリカでは健康体笑)
ネパール・ポカラにて高熱とお腹の下しで3日間の入院を経た念願の退院の日。
渡航のために自分のアルバイト代を当て、足りない分は親に借金をしてまでも現地に足を運んだ理由は、国際協力の現場を自分の目で見て、現地の人とネットや教科書を越えた国際協力の世界のつながりを、自分が現場で人と直接触れ合うことで持ちたかったから。
ただそれだけの理由で、好奇心旺盛なのか、大学生の長期休暇が思ったより長くてただ暇だったのか、とにかくチャンスがあればその探究心を生かして、現地に赴きました。
単純に国際協力の世界が面白くて、純粋にワクワクしていた私なのですが、「結局国際協力が好きなんじゃなくて、それをやっている自分が好きなんでしょ?」「支援とか自己満足でしょ?」と、マイナスな意見をいただくこともあり、同時に自分でも目的を見失いそうになったこともありました。
国際協力を行う人に対して「偽善」「エゴ」「ボランティア」「自己満足」という言葉を投げかけられたことがある方、またそのようなイメージを持っている方もいるかもしれません。
しかし、それらの言葉やイメージとは真逆のことを高校3年次に行ったネパールで体感しました。
参加したのは、現地でネパールの震災復興プロジェクトに携わるスタディツアーで、「私にしかできない支援のあり方を見つける」という目標を持ち、2週間過ごしました。
支援村の人にインタビューをさせていただくという貴重な機会をいただいたのですが、「自己満足」どころか、私は激しい「無力感」に駆られてしまっていました・・・
「支援をする」というなんて上から目線な考えを持っていたのだろうか、と自分にガッカリしてしまいました。
ネパールの村でのフィールドワーク
1時間以上に及ぶインタビューを行なった。
"タイを経由してネパール首都・カトマンズに着いてから、10時間ほどのデコボコ山道を車で駆け抜けて、やっとの思いでたどり着いた、このネパールの小さな村に住む目の前の人に、高校3年生で世界のことを何も知らない無知な私は彼に何もできなかった。"
のです。
言語も通じず、文化も価値観も異なる当事者に、わざわざ外国からきた人が支援をする意味はあるのだろうか。
今、まさに目の前に当事者がいるにもかかわらず、自分はなんて小さくて無力なんだと思うと同時に、「開発」や「支援」のある意味を深く考えさせられました。国際協力ってそもそも必要なんだろうか、と頭がおかしくもなりそうでした。
「でもきっと自分にできることがある」と思って、悔しくていろんなフィールドに赴いて挑戦してみたけれど、でもやはり毎回とてつもない「無力感」に駆られてしまい、「自己満足」なんてできるレベルまで達することなんて、全くできていませんでした。。(何かが出来ると過信していた自分がいたことにも気がつきました)
そんな中、私に浮かんだのは
国際協力って、「協力」と言えるのかな?
という大きな問いでした。
「協力=ある目的に向かって力を合わせること」つまりお互いに支え合う、パートナーのような存在のことを指すはずです。
先進国の人々のいう、国際協力(国際協力に対する解釈は様々ですが、多くの人のイメージは開発支援・援助なのではないでしょうか)に私は妙に違和感を覚え始めました。
どこか対等じゃないような気がして、「協力」関係ではないと感じたから。
結局「支援者」「被支援者」の関係は越えられない?
事実、途上国と先進国の関係は「対等」とは言い難いです。
美化されることも多い援助業界の裏には、援助産業が存在し、貧困が是正されない理由が「構造」部分にまで侵入しているのです。先進国が自分たちの発展時に採用しなかった政策を途上国には適用したり・・・(詳しくは映画『ポバティー・インク〜あなたの寄付の不都合な真実』著書『はしごを外せ』に載っています。)
国の経済力にかかわらず、同じ「人」として、先進国・途上国関係なく、お互いに高め合えるようなパートナーシップを築いていくことが真の国際「協力」と言えるのではないか?と私は思うようになりました。
国際協力を始める前、私は「支援は素晴らしい」「寄付はするべきだ」と開発支援をどこか美化していました。
(もちろん、国際協力の世界で出会った方々は学生から大人まで、本当に尊敬できる素晴らしい人々です。)
だけれども、キラキラしてみえる国際協力には裏の側面があるということを、私は現場の経験や大学の授業から学び、国際協力そのものに対して懐疑的になってしまったのです...
では、先進国と途上国が真のパートナーとして共に発展していくためにはどうしたらいいのだろうか?
実は、ネパールで参加したプログラムのテーマは地震復興支援であると同時に「国際学生交流」でした。
ネパール人大学生・日本人大学生計20名による2週間の学生交流プログラムで、ネパール人学生とどんなことがあってもずっと一緒に過ごしました。カルチャーショックを受けても、言語の壁を感じても、何がなんでも。現地のフィールドワークもネパール人学生の通訳を介して行いました。
2週間共に過ごした日本・ネパールの学生。 (もっと人数いました)
ネパールといえば「途上国」「貧しい」というイメージが付きまといますが、実際に現地の学生と触れ合ってみると「先進国」であるはずの日本人学生よりも抜群にスーパー英語が上手で...知識も豊富で...頭の回転が早すぎて会話についていけずに唖然としたことも...
このツアーに参加した私を含めた多くの日本人学生は、ネパールの同世代との交流を通して、「国際協力に対する考え・途上国の人々へのイメージが払拭された」と従来の国際協力の捉え方からシフトされます。
それは、国際協力の「支援者」「当事者」の関係が、交流した「同世代のネパール人の友達」と「日本人の私」へと変わるから。
人レベルでの交流だと人間はお互いが高めあえるようなパートナーとなることができ、それこそが協力関係であり、真の国際「協力」と言えるのではないかと私は個人的に思っています。
このツアーに参加して、ネパールとの繋がりを「人」、それも同世代の「友達」を通して知ることができた経験が、今の国際協力に対する考え方を構築してくれました。まだまだ勉強中ですが、大学入学前にこのような貴重な体験ができて本当によかったです。(3日間入院してたけど笑)
*国際協力の定義は曖昧で、まだその解釈を問い続けなければいけない課題であると思っています。よければ皆さんの意見も聞かせてください!
To be continued.
吉田梨乃